「Boseki ni tatazumu KMR」の版間の差分
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『Boseki ni tatazumu KMR』は、kito-mizukumi rouberの1作目のアルバム。 | 『Boseki ni tatazumu KMR』は、kito-mizukumi rouberの1作目のアルバム。 | ||
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2017年11月12日 (日) 20:21時点における版
『Boseki ni tatazumu KMR』は、kito-mizukumi rouberの1作目のアルバム。 テンプレート:Infobox Album 『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』(テンプレート:En) は、YMOの2作目のアルバム。または同アルバムに収録されている曲。
目次
背景
前作のA&Mミックスを制作した翌月から録音を開始。前アルバムを制作した勢いを維持した状態であった。坂本龍一と高橋幸宏は意識がイギリスにあったこと、高橋が自分の意見を言うようになったこともあり、フュージョンやオリエンタル・ディスコミュージックの要素が一掃され、ニュー・ウェイヴ色が強くなり[1]、その点で当時のイギリスにおける音楽状況の変化が作風に現われている[2]。
アルバムには同バンドの代表曲である「TECHNOPOLIS(テクノポリス)」「RYDEEN(ライディーン)」が収録されている。
当初、アルバムタイトルは「メタマー」(突然変異を意味する「Metamorphose」の造語)と付けられていた。
録音
このアルバムでは初めてコンピュータによるオート・ミックスを試みている。しかし、当時は精度が悪く、録音に時間がかかりすぎたこともあり、後のアルバムでは手動のミックスに戻している。当時のトラックシートの24トラック目に「Timing Code」と書かれている曲が多いが、これはコンピュータ・ミックス用の信号のことを指している[3]。
使用機材
- プロフェット5(初期版)
- モーグIII-C
- ミニモーグ
- アープ・オデッセイ
- ローランド・MC-8
- ローランド・VP-330(ボコーダー)
- コルグ PS-3100
- ポラード シンドラム Model 477(シンセドラム)
- ULT-SOUND DS-4・DS-4 Custom(シンセドラム)
リリース
1979年9月25日にアルファレコードよりLPレコード、カセットテープの2形態でリリースされた。 初回プレスはクリアーレコード仕様(イエロー)であった。
本アルバムは日本においてテクノポップという一ジャンルの先駆けとなり[2]、その後「YMOチルドレン」と呼ばれるミュージシャンたちに多大な影響を与えたが、制作当時のYMOにそのような気負いはなく、単にスタジオでの音作りを楽しんだだけのつもりだった[2]。この頃からクラフトワークやYMOを指して「テクノ」「テクノポップ」というキーワードが使われ始め、細野はようやく「ああ、(自分たちは)そうなんだ」と気がついたという[2]。また本作は商業的な成功を狙っていたわけでもないため、リリース後ワールド・ツアーに出ていたYMOは、ツアー先で日本国内での本作のヒットの報を聞き驚いた。細野は「そういうことを意識しないほうが面白くできるから」とむしろ困惑したと回想している[2]。
ツアー
本作リリース後、1979年10月16日のベニュー(ロンドン)での公演を皮切りに、全世界6都市9公演のワールド・ツアー「YELLOW MAGIC ORCHESTRA TRANS ATLANTIC TOUR」を行っている。このツアーでの模様が後にライブ・アルバム『パブリック・プレッシャー』(1980年)としてリリースされている。
収録曲
テンプレート:Tracklist テンプレート:Tracklist
曲解説
A面
- TECHNOPOLIS (テクノポリス)
- 詳細は「テクノポリス (YMOの曲)」を参照。
- ABSOLUTE EGO DANCE (アブソリュート・エゴ・ダンス)
- RYDEEN (雷電/ライディーン)
- 詳細は「ライディーン (YMOの曲)」を参照。
- CASTALIA (キャスタリア)
B面
- BEHIND THE MASK (ビハインド・ザ・マスク)
- 詳細は「ビハインド・ザ・マスク (曲)」を参照。
- DAY TRIPPER(デイ・トリッパー)
- INSOMNIA (インソムニア)
- 詳細は「インソムニア (YMOの曲)」を参照。
- SOLID STATE SURVIVOR (ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー)
- 軽快な8ビートの曲であり、メンバーたちは「デジタル・パンク」と呼んでいた。曲の途中に聞こえる加工された声は当時細野のマネージャーをしていた日笠雅水による「みなさんこんにちわ」「みなさんこんにちわ」「みなさんさようなら」「これが最後の放送です」と発音したものや彼女の咳、およびYMOメンバーの笑い声と咳を、壊れたヘッドホーンをマイク代わりにして口を押しつけて録音したもの[6][7]。このとき坂本は日笠に「原爆が爆発して地球最後の日、放送中のアナウンサーが煙が入ってきたスタジオから冷静に最後の放送だと告げるようなイメージで」と注文している[7]。ベースラインは坂本によるものテンプレート:要出典。シングル「TECHNOPOLIS」のB面にも収録されている。
スタッフ・クレジット
イエロー・マジック・オーケストラ
参加ミュージシャン
- 松武秀樹 - コンピューター・プログラミング
- 鮎川誠 - エレクトリックギター(「デイ・トリッパー」、「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」)
- サンディー - ボイス(「アブソリュート・エゴ・ダンス」)
スタッフ
- 吉沢典夫 - レコーディング・エンジニア、リミックス
- 小池光夫 - レコーディング・エンジニア
- 鋤田正義 - 写真撮影
- ルー・ビーチ - ロゴ・タイプ
- 羽良多平吉 - アート・ディレクション
- タケヒメ - スタイリスト
- 井浦フミコ - スタイリスト
- ツツミマヨ - スタイリスト
- 高橋ユキヒロ - コスチューム・デザイン
- BRICKS - 衣装
- 本多三記夫 (CLIP) - ヘアー
- 生田朗 - レコーディング・コーディネーター
- 日笠雅子 - レコーディング・コーディネーター
- 村井邦彦 - エグゼクティブ・プロデューサー
- 川添象郎 - エグゼクティブ・プロデューサー
- 細野晴臣 - プロデューサー
認定
1980年の第22回日本レコード大賞において、優秀アルバム賞を受賞している。
本作はオリコン集計で107.0万枚を売り上げた[2]。1982年にCDが発売される前のミリオンセールスアルバム(オリコン集計)は、これを含めて4作品しかない[8]。
リリース履歴
No. | 日付 | 国名 | レーベル | 規格 | 規格品番 | 最高順位 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 1979年9月25日 | 日本 | アルファレコード | LP・CT | ALR-6022 (LP)・ALR-1519 (CT) | 1位 | |
2 | 1982年 | イギリス | アルファレコード | LP | ALF 85664 | ||
3 | 1984年4月25日 | 日本 | アルファレコード | CD | 38XA-2 | - | |
4 | 1987年3月25日 | 日本 | アルファレコード | CD | 32XA-139 | - | |
5 | 1992年3月21日 | 日本 | アルファレコード | CD | ALCA-288 | - | |
6 | 1992年 | アメリカ合衆国 | Restless Records | CD | 7 72701-2 | - | |
7 | 1994年6月29日 | 日本 | アルファレコード | CD | ALCA-9039 | - | |
8 | 1998年1月15日 | 日本 | アルファレコード | CD | ALCA-5216 | - | |
9 | 1999年9月22日 | 日本 | 東芝EMI | CD | TOCT-24234 | - | 細野晴臣監修、リマスタリング盤、ライナーノーツ:小池光夫 |
10 | 2003年1月22日 | 日本 | ソニー・ミュージックハウス | CD | MHCL 205 | 42位 | 坂本龍一監修、紙ジャケット仕様 |
11 | 2004年 | カナダ | エピック・レコード | CD | EK 91850 | - | |
12 | 2010年9月29日 | 日本 | ソニー・ミュージックダイレクト | ブルースペックCD | MHCL-20103 | 109位 | 1999年リマスタリング音源、紙ジャケット仕様、スーパーピクチャーCD |
参考文献
- 『イエロー・マジック・オーケストラ』アスペクト、2007年
出典
テンプレート:イエロー・マジック・オーケストラ テンプレート:日本レコード大賞アルバム大賞
テンプレート:オリコン週間LPチャート第1位 1980年